2013年11月1日金曜日

武井裕之×渡邊安治 ふたり展「 two and one half」 二番目の次の恋






ふたりの写真家 武井裕之と渡邊安治による2人展

「two and one half 二番目の次の恋」を、神保町画廊にて

11月27日(水)〜12月14日(土)まで開催いたします。




蔭と陽、幻想と現実、2つの視点が重なり合う、
アンバランスな美の世界、天使と悪魔のハーフ。
ガラスのように繊細な心と、瞳の奥に光る狂気が交錯する、
少女たちの姿をご堪能ください。


November 27(Wed)-December 14(Sat)
Hiroyuki Takei & Yasuji Watanabe joint exhibition "two and one half"
 Gallery hours during the exhibition are 12:00-18:00 
from Wednesday through Sunday (19:00on Friday) 
 The Gallery is closed on Monday and Tuesday. 



(会場にて、渡邊安治編集製作のミニ写真集「two and one half」の販売もいたします)



「S&Mスナイパー」誌の編集長を経て、写真家の活動を始める。
儚くも怪しいエロティシズムをクールに表現する作風。
作品集に「Tokyo Girls」「AKAIHANA」「Real Fake Doll」などがある。



11月27日(水)〜12月14日(土)
開廊時間:12時〜18時(金曜日は19時まで)休廊日:月曜日・火曜日

展示詳細は神保町画廊まで





少女とは
2番目の恋
を、経験して大人になる生き物








2013年8月14日水曜日

展示のお知らせ 武井裕之小個展「海の音が聞こえる」



この夏、北鎌倉小舎にて発表した新作カラープリントと、
大槻香奈とのコラボレーション作品数点を展示する小個展を、神保町画廊にて開催します。 


武井裕之小個展 「海の音が聞こえる」
featuring 大槻香奈


8月21日(水)~9月1日(日)
開廊時間:12時~18時(金曜日は19時まで)休廊日:月曜日・火曜日

「海の音が聞こえる」   2013年 230×155㎜  InkjetPrint    Edition 5




泡のしずくのような少女たちのきらめきが、

波のなかでたちのぼり、青く儚い世界に消えてゆく・・・





武井裕之×大槻香奈コラボレーション作品 参考記載
(記載作品は売約済みです)




神保町画廊

東京都千代田区神田神保町1-14-7 安野ビル1階

TEL : 03-3295-1160

http://jinbochogarou.com/












2013年7月24日水曜日

武井裕之×大槻香奈「いつかまた会える夏に」


「信濃町にあるArt Complex Centerで凄く良い展示をやっている!武井さんも好きな感じだと思うのでぜひ行ってみてください!」もう4年以上も前だが、突然友人からもらったこの一通のメールが無かったら、多分今回の「いつかまた会える夏に」まで辿り着かなかっただろう・・・そう、この時に見た展示が、大槻香奈さんの少女たちとの初めての出会いだった。誘ってくれた友人もArt Complex Centerへ別の展示を見に行った帰りがけに、大槻さんの作品を偶然見つけたと言う・・・


日常の中で、僅かに重なり合う瞬間から生まれる奇跡の数々
そんな目に見えない積み重ねによって支えられる日々の出来事

少女と出会うこと そして 少女から見えてくるもの

この2つの世界が重なり合う純粋な時間と空間をお楽しみください


絵画「夏のくもり」大槻香奈 2013年 455×333㎜ ケント紙にアクリル
写真「飴色の午後3時」武井裕之 2013年 250×155㎜ インクジェットプリント


大槻香奈 Kana Ohtsuki
1984年生まれ。京都在住の美術作家。
主に少女モチーフを通して、絵画を中心に現代世界を表現している。
2007年より国内、海外で数々の展覧会に参加、日本では年に1度個展を開催している。
また映画の劇中画、書籍、ポスター、CDジャケットなどにも作品を描き下ろしている。



「いつかまた会える夏に」


会期 西暦2013年8月3日(土)〜8月11日(日)

開廊時間 11:00〜19:00(最終日は17時まで)会期中無休

場所 北鎌倉小舎

神奈川県鎌倉市今泉台7-25-2
JR「大船駅」東口よりバス5番乗り場、北鎌倉湖畔循環バスにて「鎌倉湖畔」下車徒歩2分
TEL 0467-43-3627




今回の展示について以下の雑誌にも案内を掲載させて頂きました。
「発売が早い順番です」


月刊美術8月号(発売中)
フォトテクニック・デジタル8月号(発売中)
アート・コレクターズ8月号(発売中)
トーキングヘッズ叢書(TH Series) No.55(7月末発売)
月刊ギャラリー8月号(8月1日発売)









2013年6月19日水曜日

フェリスの女の子・・・(後編)

高校3年の時、神奈川の片隅に住む、井の中の蛙でありながら、僕は、本当の格好良さとは、可憐さとは?を、ずっと考えていた。流行やマスメディアの情報に疑問を持つ、そんなマイノリティの高校生は学校でも浮いた存在だが、唯一この感覚を分かち合える親友がD男だった。彼は野球部のエースの座を断念せざるを得ない状況に陥ったが、持ち前のチャレンジ精神を発揮して、今度は「英語の弁論大会」に挑んだ・・・もちろん彼の応援をしたことは言うまでも無いが、その影には下心があった事も認める。会場となったのは「フェリス女学院」その何か魅惑的なカタカナ表記にトキめいたのだ。まあ、今更言い訳がましいけど、そこには何か「答え」のようなモノがある気がしたのも事実だった。

弁論大会当日、D男は素晴らしい才能を見せた。壇上に登り英語でスピーチする彼の姿はとてもカッコよかった。野球部のエース復活!英語が堪能な県下の並みいる競合を三振に抑えた。まさにそんな感じだった。好調のD男の前に、最後に立ちはだかったのは、地元フェリス女学院から選出された3年生。D男は優勝するかもしれない!?と、浅はかな思いに浸っていた瞬間。彼女に逆転ホームランをかっ飛ばされた!それも簡単に・・・D男は易々と撃沈されてしまった。実力にはっきりとした差があった。落ち着いて考えてみれば、彼女が壇上に登った時点で勝負はついていたのだ。フェリスの女の子は、それ程に特別な存在感を放っていた。

言うまでも無く、弁論大会は彼女が制した。その後の親睦会で、僕はその存在が気になってしかたが無かった。彼女はさっきまで羽織っていた赤いカーディガンを脱いで、水色のセーラーカラーが印象的なフェリスの夏服姿で友達と話していた。その伝統的なセーラー服が、まるで部屋着のように身体に馴染んでいる。その姿が本当に可憐で、僕は思いきって声を掛けた「優勝おめでとうございます」・・・すると彼女は「優勝してもあまり嬉しくない」と、ニコッと応えた。思いがけないひと言に一瞬戸惑ったが、まったく嫌みを感じさせない、スカッと抜けたその笑顔には、不思議な説得力があった。だってあのD男をいとも簡単に撃沈し、まるで昼休みに友達と会話をするような感覚で、サラッと優勝してしまったのだ。聞けば英語は日常の中で独学で学んだという。世の中にはこんな女の子がいるのか・・・と、僕はトキめくと同時に、何か答えのようなものに出会った高揚感で、その時一杯になった。

彼女はいつも堂々としていた。そして質素でもあった。その謙虚な姿勢が、返って奥に潜んでいる何かを想像させ、人としての魅力を倍増させた。堂々と謙虚に振る舞う。彼女が纏っていた独特の空気感は、そんな身のこなしから生まれていたのだ。彼女は自分の信念で生きていた。かっこよかった。僕は本当に夢中だった。歩調を合わせるように背伸びもした。そして、たくさんの勇気も貰った。伝統のセーラー服を纏って、自由に舞っているその姿は、まさに希望の象徴であり、僕はそれを追いかけた。そして、いつしか色褪せない記憶の彼方へ仕舞い込みたいと、思い始めていたのだ。

制服少女が持つ最大の魔力は、制服そのものが持つ伝統と、それを着こなす本人の魅力が融合したときに発揮される・・・そんな魔法にやられてしまった最初の存在が、まさにこのフェリスの彼女だった。人にはたまに自身に影響を与えるような出会が訪れる。それは、自分を見つめ直し、ひと回り成長できるようなきっかけを与えてくれる。作品には重みがあり、創作はモデルたちとの能力の結晶だ。僕はその存在たちに感謝している。これから出会うであろうモデルたちに、そしてフェリスの女の子に・・・














2013年6月7日金曜日

フェリスの女の子・・・(中編)

僕の3年間の高校生活の中で、D男という親友が居た。D男はスポーツ万能で、成績もよく、爽やかな好青年だった。当時の母校は野球が強く、ともすれば甲子園出場も夢ではない好成績をたたき出していた。D男はそんな野球部のエースの座を約束されたヒーロー的存在でもあったのだ。体育会系の縦社会が大嫌いだった自分は、当時もっぱらの帰宅部。そんな真逆の存在であったD男と、親しくなったきっかけは、彼を襲った災難だったのかもしれない。幸か不幸か分からないが、彼は身体の故障で、野球を断念しなければならなくなったのだ。そんな訳で暫くは抜け殻状態のD男だったが、ちょっとしたきっかけで彼との共通点を見い出し、彼を励まし、新しいビジョンを一緒に描いて、卒業後の夢をお互い語り合い始めた。そんな時間が真逆の性格であったD男との距離を縮めてくれた・・・

そんな彼との学校生活が続いた数ヶ月後のことだった。D男が突然僕に訳の分からない事を言って来た「オレ、英語の弁論大会に出場するぜ!」「はぁ・・弁論?・・?英語??」僕は狐につままれたような気分だったが彼の目は本気だった。久しぶりの野球部の目だ。その大会というのは、神奈川県下の高校から英語が優秀な生徒が選抜され、自身を英語でアピールするというコンテストらしい。メチャクチャ難易度が高いことはすぐに想像できたが、そのチャレンジ精神がとてもD男らしく、そんな彼を純粋に応援したいという気持ちで、その時僕は一杯になった。しかし、そんな無垢な思いも、すぐに不純なものへと変わったのだ。「大会の会場はフェリス女学院!」僕はその表記に釘付けになった。フェリスといえば、神奈川を代表するお嬢様女子校であり、福岡の福岡女学院などに次いで日本最古の女子校にもランクされる、歴史と伝統が宿る学び舎である、どんな女の子がいるのだろうと想像しながら僕はトキめいた。これはもうD男を応援に行くしかない!彼には申し訳ないが、その時、僕はD男の出場などどうでもよくなっていた・・・

大会当日、その瀟洒な佇まいのフェリスの講堂に居たD男の関係者は、案の定、僕と英語の先生だけであった。プログラムには名だたる県下の名門校から選抜された生徒の名前が連なっている。その厳粛な空気に圧倒されて自分も緊張してしまった「D男が恥をかかなければよいが・・・」そんな心中を察してか、D男は緊張しながらも何とか余裕の表情を作って僕と先生に見せてくれた。彼のスピーチが始まった「おっ・・すごいぞD男!」彼は壇上で生き生きと喋った。英語なので内容は正確には分からないが、いつものD男では無い。身振り手振りのジェスチャーがまるで外国人のようだ。2ヶ月間の特訓の成果が出たのだ。審査員の外国人にもウケていた。彼はとてもかっこ良かった。まさに野球部のエース復活!僕はその時、D男の親友でいることをとても誇らしく思えた。その後の出場者数人もD男の敵では無く、もしかしたら彼は優勝するかもしれない!そんな希望さえ実感できたのだ・・・湧き出た得体も知れない興奮も覚めないまま、最後の生徒が壇上に姿を見せた。地元フェリス女学院から選抜された3年生である。制服の上に羽織った赤いカーディガンが印象的な彼女。が、何かが、他の出場者とは違っていた。歩き方や、壇上での立ち振る舞いに、今までに無い別次元の余裕を感じたのだ。この子は只ものでは無い・・・纏っている空気感もまるで違う「どんなスピーチをするのだろうか?」僕はその女の子に釘付けになった。そして、彼女が喋り始めたとたん、会場内の空気が明らかに一変した・・・(続く)










2013年6月5日水曜日

フェリスの女の子・・・(前編)

自分が制服少女の撮影を始めたのはいつ頃だったのか?そもそも制服を着た女の子に魅せられたきっかけは何だったのか?と、いろいろ思いを巡らせてみる・・・

そう言えば、高校の修学旅行では、定番の神社仏閣などにはまったく興味が無く、その場に居合わせた他の学校の、かわいい女子の写真ばかりを撮っていたこと思い出す。自身が高校生活を送った80年代後半は、スケバンやビーバップハイスクールの影響が色濃く残っていた時代で、自分の周辺には長いスカートを引きずるような女子がまだ巷に溢れていた。しかし僕はどうしてもその出で立ちが馴染めず、何が可愛いのか理解できないでいた。お茶の間では中山美穂のドラマ「毎度お騒がせします」や南野陽子の「スケバン刑事」などが放送され、長いスカートを纏ったヒロイン達が幅を利かせていたテレビ時代である、今日のようなチェックミニなどは見る影も無い(最先端を行く青学生は、その時からすでにチェックミニで渋谷のセンター街を歩いていた)今ではネットに画像を投稿すれば、瞬くの間に全国へ広がるが、当時、情報を得る手段はテレビか、雑誌か、口コミか、その場へ行って自分の目で確かめるしか無かったのだ。そんな神奈川の奥地に住む井の中の蛙だった自分が、修学旅行で見た事も無い制服を着た女子たちの姿に、何かトキめくものを感じたのも無理はないだろう!(と、正当化させる)まあその頃から変態だったことは認めるが、その人の道を外してしまった感性を覚醒させたのは、もちろんそれだけでは無い。

当時自分は探していた、本当にカッコいいものとは?可愛いものとは?そして、そこから見えて来る何かは、今後自分が社会と関わって行く上で、きっと指針になるであることはうっすらと想像できた。学校では男女共に変形学生服を着て、先生に隠れてタバコを吸う、いわゆる不良グループというものが存在したが、そんな上辺だけのパフォーマンスにはもう飽き飽きしていた。本物の魂は、その人が生きる信念のようなものに宿る。理屈では分かってはいるものの、現実として実感できる存在を、その時僕はすっと探していたのだ・・・

暫くは、そんな淡々とした学校生活が続いていたのだが、3年の秋に突如!僕の前に一人の少女が現れた。その子は同級なのに、何もかもが違っていた。彼女は伝統的なセーラー服を可憐に纏って、蝶のように舞っていた・・・その身のこなしは完璧だった。僕はそんな女の子にドキドキした!それまでの概念が一気にひっくり返った。本当にそれだけ衝撃的な出会いだったのだ!そして彼女は自身の中で眠る何かを目覚めさせた・・・

今、走馬灯のように記憶が蘇る。水色のセーラーカラー、外人墓地、洋館が続く山手の街並、放課後デートした「えの木てい」のカフェテラス、そして、トレードマークの赤いカーディガンと、すました横顔・・・そう、その彼女とは当時フェリス女学院に通う女の子だった・・・(続く)















2013年4月22日月曜日

中学生を撮るということ・・・

神保町画廊での展示が終わって一ヶ月余りが過ぎました。今回の個展がきっかけで玄光社から発売されています「フォトテクニックデジタル5月号」のグラビアに作品を記載させて頂くという、ありがたい縁に恵まれました。誌面には個展やサイト未発表の2枚を含む合計7枚の作品で構成された「はつ恋・フォトテクニックデジタルEDITION」として掲載されています。そこでせっかくなので、ちょっとした撮影で感じたことを綴ってみます。

今回雑誌にはモデルとなってくれた子が4人出演しているのですが、そのうちの二人は撮影当時は中学生でした。グラビアコーナー前半の、チェックのスカートを着用している二人がそうです。二人ともハーフの子なので作品では大人びて見えますが、会話をすると本当にいたいけな少女でした。考えてみるとジブリアニメなど、中学生位の少女がヒロインとして登場する作品は沢山あります。エヴァなどでも14歳がキーワードになり、文学でも少女が大人に成長してゆく過程での葛藤を画いた多くの著書が存在します。まさに様々なアーティストを魅了する思春期の少女の姿は、永遠のトキメキであり、絶対的なモチーフでもあります。しかし、こと写真となると中学生を被写体にすることは、残念ですが今の世の中ではとても難しいことになってしまいました。僕が制服少女を撮り始めた18年位前はストリートでも声を掛けて撮らせてもらったりしましたが、今ではさすがに躊躇してしまいます。当時は今より時代がおおらかでしたが、それでも70年代に活躍された「青山静男」さんのようなスナップを撮る事は難しいかったでしょう、それだけ彼の作品は今となっては国宝級に貴重なのです。では中学生を撮るにはどうすればよいのでしょうか?これはもう両親にお願いすることです。言ってしまえば極論ですが、それが当たり前です。僕はそうして何人か撮影さてもらいました。こんな私が言うのはとても烏滸がましいのですが、ポートレイト撮影に必要なスキルは、8割が相手を思いやるコミニュケーション能力だと信じています。カメラの性能や技術的なスキルはそれほど重要ではありません。ですが必ずしも話し上手である必要もありません。大切なのは誠意です。謙虚に誠意を持って接すれば必ず何かしら応えてくれます。これは写真に限ったことではないのですが、真摯に被写体やモチーフと向き合う姿勢が、その人の表現の個性や作風になると信じています。

フォトテクニックデジタル5月号はこちら









2013年4月5日金曜日

女子高の図書室で・・・

この度は、武井の個展「はつ恋」へ沢山の方がお越し頂きまして、本当にありがとうございました。期間中は熱心にいろいろと僕の作品について質問してくれたり、写真や創作の事について熱く語ったりと、貴重な時間を過ごさせて頂きました。すべての方とお話できないのは本当に残念でしたが、せっかくなので、このブログでいくつかお客さんと話したエピソードを紹介させてください。

今回の僕の展示のDMを手に取られた方には分かりやすいですが、そのDMに写っている場所は言うまでもなく図書室です。実はこの図書室は、本物の女子高の図書室なのです。現役生を廃校などではなく、実際に稼動してる女子高の内部を使って撮影することは、創作をする上でずっと自身の念願でした。どうしても僕は本物のシチュエーションに拘りたかったのです。ある時にダメもとで、某女子高へ電話で問い合わせてみることにしました。とにかく僕の作品をみて欲しいということと、決して学校のマイナスイメージになることは無い、ということを熱心に告げると、担当の先生からは一度会って話しましょう!と、思ってもいなかった返答がありました。とにかく説得できるチャンスを貰えた嬉しさを胸に、ポートフォリオを持参して、実際に女子高を訪問した時のドキドキ感は今でも忘れません。幸いその担当の先生は僕の作品を気に入ってくれて、生徒が居ない時間帯で、建物内部の一部だけだったら撮影をしてもよいという許可をくれました。このブログで校名を載せることはできませんが、寛大な先生に本当感謝です。また、ちょうどその時は文化祭の時期で、撮影前のロケハンとして、文化祭にも招待してくれました(普通は学校関係者からのチケットが無いと入れない)文化祭で内部を確認して準備は万端。撮影当日は学校側から細かく指示されることもなく、結構自由に撮影ができ、また、校舎内に残っていた数人の生徒さんからは「こんにちは」と、気持ちの良い挨拶が飛んで来ました。些細なことですが、その学校の教育レベルの高さが伺えて気分も上々!更に創作に熱が入ります。僕はなるべく迷惑を掛けないようにと、撮影場所に関して多くリクエストを出さなかったのですが、そんな僕をみて逆に先生が一言提案してくれました・・・「武井さん!学校らしい場所といえば図書室や音楽室でしょう!」と、それは気がつかなかった!さすが毎日学校で仕事をしている教員です。早速、図書室へ場所を移して撮影開始!やはり区の図書館とは違います。当たり前ですが、そこはまぎれもない学校の一部であり、生徒が学ぶ場所でもあります。その雰囲気がプンプンしていて興奮しました。創作熱も最高潮!音楽室もまさにそうです。本物の場所は空気感が違います・・・こうしてDMに使われた1枚が誕生しました。

はじめに実際の女子高で撮影したいと思ったのは自分自身でしたが、撮影中に担当の先生が提案してくれなければ、図書室での撮影は成立しませんでした。僕の熱意に先生が応えてくれたのかどうかわかりませんが、一心不乱に創作していると他者とシンクロする瞬間があります。もちろんモデルさんともそうですが、そんな奇跡の一瞬があるからこそ、思いもよらなかった作品が生まれるのだと僕は信じています。そんなチャンスをくれた学校の先生には、今でも本当に感謝しています。



2013年3月22日金曜日

はつ恋とスカートの中

はつ恋には人それぞれいろいろな想い出があるだろが、自分のはつ恋の経験は小学校1年の時にまで遡る・・・相手はクラスに居たとてもカワイイ同級生なのだが、当時6歳だった僕の、そんな幼気な心は、溢れる想いをどう制御してよいのか分からず、思わず図書室で彼女の頬に「チュ」としてしまった(僕の一方的な片思いで、彼女は何とも想っていない)そんな瞬間を同級生に目撃され、小学校を卒業するまでの約6年間ずっとからかわれ続けた甘酸っぱい想い出がある。また、そんな事が縁で母親同士も親密になってしまい、その後何年も「○○ちゃんは、○○大学へ進学したようだよ」など、自分にはまったく縁の無くなってしまった彼女の成長ぶりを、いろいろと聞かされたものだ。まったく地元民のネットワークは恐るべしである。

また、はつ恋とは関係の無い話だが、中学3年の時に初めて赴任してきた若い女性の先生にも特別な想い出があった・・・中学3年といえば発情(さかり)の最中、当時流行っていたスカートめくりなどで同級生をよくからかい「スケベ」とか「Hエッチ」と、言われることに妙に興奮して楽しかった(この頃からすでに変態だったのかもしれないが・・・)しかし、そんな思春期のエネルギーを実際にぶつけ合う経験を通して、異性との距離間みたいなものを学んでいった気がする。そんな中、新任の先生が赴任して来た初日の事だ。大学を卒業したばかりの清々しい彼女のオーラに魅了され、クラスのお調子者たちは(僕はそのグループには属していなかった)先生をからかい始めた。まだ経験の浅い彼女にその行為を抑える術は無く、次第に騒ぎは大きくなっていき、その時、そのクラスの雰囲気に乗せられた僕は、席の近くを通り過ぎた瞬間、彼女のスカートをヒラッとめくってしまったのだ(まぃちんぐマチコ先生のような感じ・・例えが古い)グレーのストッキングを履いていたことは今でも覚えている。もちろん怒られたのだが、同級生の女子の時とは違う、不思議な高揚感があった。その後のホームルームで担任の先生からも叱られたのは言うまでもないが、新任のその先生が、その後トイレで泣いていたという事実を聞かされた時は、今まで経験したことの無い甘酸っぱい罪悪感がこみ上げてきて、グレーのストッキングを思い出しながらも反省したものだ。同級生の女子たちの「スケベ」や「H」とは違う「泣く」という行為に、何かなまめかしい大人の女の色気のというものを初めて感じて、興奮したのも事実。しかし、そんな行為があった為か、その先生とはその後、妙に親密になり、数学を教えていた彼女だが「テスト頑張んなよ!」とか「分からないことがあったらいつもで聞きにおいで」と個人的にもよく勉強を教えてくれた。もちろん依怙贔屓というものでは無いが、自身を含む男子が数人で固まっていても、僕だけによく声を掛けてくれて、いつしか自分はその先生のことを大好きなっていた。もちろん、彼女から女を教えてもらうなどといった、ドラマのような展開は無かったが(あったら犯罪)甘酸っぱい罪悪感と、憧れが入り交じったその先生との日々は、僕の思春期の大切な想い出となっている・・・




2013年3月11日月曜日

神様がくれた光と揺らぎ

僕は自然光で撮影することが好きだ。自然光ほど美しく、綺麗な光は無いと思う。それは自然光は神様がくれた光だからだ。僕はカメラマンでは無いので、照明を駆使してスタジオで、コマーシャルフォトの様な撮影をすることは無い。証明やストロボは、言うなれば人工の光で、食物に例えるなら加工食品。それに比べて自然光は、自然の畑で採れる食材と同じ。地味で人工着色された派手さは無いけど、何故か飽きる事は無い・・・

光は空気の中で揺らぐ、人の心も揺らぐ、そんな自然の感覚に近いのが、アナログの銀塩写真の揺らぎだ。フィルムや印画紙の上に塗布された銀の粒子が感光して黒に変色する銀塩写真。その銀の粒子の大きさは様々で不連続。自然の造形はすべて不連続であり、規則正しく並んでいる自然の風景はとても奇妙に写る。人の気持も不連続。人生も不連続。そんな揺らぎが何故か気持ちよい・・・

自然光を捕まえ、フィルムで撮影された写真の気持ちよさを、今回の自身の個展で、改めて感じた。自画自賛だが、やっぱりフィルム写真は好きだ。



2013年3月2日土曜日

TH トーキングヘッズ 53号 作品記載のお知らせ

アート・文学・映画・ダンスなどさまざまなカルチャーシーンを、オルタナティヴな視点から紹介・評論するテーママガジン「THトーキングヘッズ」の53号に、作品を紹介して頂きました。165ページにある「武井裕之 少女に、光あれ」です。編集長の沙月樹京さん直々の論評と僕の作品を、3ページ記載して頂きました。








2013年2月26日火曜日

展示のお知らせ「はつ恋」神保町画廊

1年と2ヶ月振りにブログを再開いたします。

この度、3月6日(水)から23日(土)まで、神保町にあるアートスペース、神保町画廊にて2年振りの個展を開催いすることとなった。神保町画廊はエッジの鋭い作品の展示が多い画廊で、好みの差がハッキリと分かれるが、その潔さが独特の雰囲気を形成している希有な空間。今回は「はつ恋」をテーマに、銀塩モノクロプリントを20枚程展示する。





Hiroyuki Takei Photo exhibition “First Love”
武井裕之写真展「はつ恋」

2013年3月6日(水)〜23日(土)
12:00〜18:00(金曜19:00まで)
月、火曜日休廊

神保町画廊
東京都千代田区神田神保町1-14-7 安野ビル1階
TEL : 03-3295-1160
http://jinbochogarou.com/


子供が成熟して自我が確立してゆく過程で、初めて異性を意識し、他者との魂と肉体の融合を求める無垢な心・・・それが初恋だ。恋心を抱くことによって、初めて自身を意識し、他人を認め、世界を知る。人と触れ合い、絆を深めることは、人生の永遠のテーマであり、人間の最も崇高な到達点だ。愛と、夢と、希望を求めるように、私たちは手を伸ばし、もう一度あの頃の清らかな魂に触れてみる。美しさを求めて芸術を創造するように、忘れかけていた無垢な魂は、自我の垣根を取り払い、再び他者と触れ合う優しい気付きを与えてくれるだろう。その瞬間人は成長する。そして、その想いはやがて慈悲の心となり人々を癒すことになるのだ。愛に触れた時、魂は満たされる。だから、初恋は切なく美しい想い出でなければならない。